富山県!日枝神社の山王まつりが5月31日から始まる!!

イベント

江戸三大祭りの山王まつりを調べる際に、こちらの山王まつり情報が出てきました。同じ日枝神社で、山王さんの愛称で親しまれている山王まつり。富山県の方が少し開催が早いので、先に調べようと思いました。

日枝神社とは?

日吉大社が本家本元の総本宮で、滋賀県大津市にある日吉大社から、日吉・日枝・山王神社と全国に3800社ほど、分霊されているそうです。ですので、違う場所でも同じ名前の神社を見かけますが、みんな同じ祭神ということですね。

山王まつりの内容

春季例大祭日程 5月31日(金)~6月2日(日) の開催です。
※金曜日は曇り予報。土曜日は快晴の予報!!日曜日は少し雨マーク有。お気をつけて楽しんでください(^^♪

  • 5月31日午後1時~6月2日午後10時までは、日枝神社周辺では交通規制や歩行者の一方通行など実施されますので、お祭りに行く方も近くを通る方も気を付けてくださいね。
  • バスの経路や電車の時間も変更がありますし、神社近くの駐車場は利用できないところも多いので車でお祭りに参加される方は、確認されると良いと思います。
  • 住所:富山県富山市山王町4-12
  • 電話:076-421-6318(受付時間:午前8時30分~午後5時)

5月30日(木)
・午後4時 宵祭り
(山王まつりが滞りなく斎行されるようにお祈り)
5月31日(金)
・午前8時30分~ 神輿渡御・獅子舞巡行[氏子西側地区]/午後5時頃御還幸
6月1日(土)
・午前7時 山王講春季大祭
・午前8時30分~ 神輿渡御・獅子舞巡行[氏子東側地区]/午後5時頃御還幸
・正午~ 氏子みこし巡業祭
6月2日(日)
・午前10時~ 日枝神社春季例祭
・午後2時 献華式
・午後4時 成就祭

※神輿が神社にお帰りになる御還幸には、夕暮れの街路を笛の音や力強い太鼓の鳴り響く中、整然と行列し、勇壮な大獅子頭、神輿が軒を連ねる露店をかきわけるように御還幸になる様は、山王まつりの風物詩ともいえる光景となります。
引用サイトURL:https://www.hie.jp/ritual/sannou_fes/

※神様の御神徳を称え、皇室の御安泰、氏子崇敬者の御繁栄、五穀豊穣をお祈りするお祭りです。
昨年露店は500点以上。今回はそれ以上に出店される予定のようなので、期待できると思います☆

山王祭りの歴史

日枝神社のことを「山王さん」、春祭りのことを「山王まつり」と親しみをもって呼ばれてきました。今現在のように「山王まつり」が賑やかになったのは江戸時代からで、富山藩二代藩主前田正とし公が、元禄3年4月神輿2基を寄進され、これ以後城下あげてのお祭りとなり、神輿が城下氏子各町を御巡行される慣わしが出来ました。こちらの神輿2基は昭和20年の戦災で焼失してしまいました。
以後、神輿は1基で渡御を行うようになったそうです。

江戸とのつながり

日枝神社の「山王まつり」は、東京(江戸)でも大祭となっています。こちらも江戸時代の始まりとなっていました。同じ江戸時代ではありますが、東京は、神幸祭が1616年から始まっており1635年徳川家光公が初見したとなっています。こちら(富山)は元禄3年となっております。元禄3年は1690年となっています。
前田正としさんは、延寿反魂丹の製造を奨励して富山売薬の基礎をつくったとされています。また武術家や儒者を多数招聘して文武両面の復興をはかったとされています。
ちなみに1690年頃は徳川綱吉さんの時代であり徳川綱吉さんも儒学を重んじていて、各地の藩主を集めて講義をおこなったりしていたようです。江戸城での謁見待ちの際、持っていた延寿反魂丹を使用し、激痛を起こしていた秋田信濃守さんを助けた事もあるそうです。参勤交代の時代でもあったので、江戸との繋がりは大きかったのではないかと思います。

参勤交代は学校で習いましたが、よく考えてみると富山と江戸って、どうやって行ったのか?
富山城を出発して、[北国街道]四里離れた滑川で中休憩→二里進んだ魚津で1晩泊り、泊→糸魚川→高田→[中山道]軽井沢・追分→熊谷、蕨(わらび)→江戸に入る。13泊14日!!それが1年に1度!!
参勤交代によって、住民は疲れ果て、移動のための莫大な費用は諸藩の財政を逼迫したと言われている。
が!!1601年に参勤交代の折りに街道の美観と雪よけのために住還松を植樹したり、1639年に加賀藩と富山藩で、分藩したりと、財政の逼迫感はしない。なぜ??
加賀藩は、江戸幕府から3国の領有と119万石に及ぶ石高を認められたそうで、日本一の大名になっていました。大きさ故に厳しい監視もあって、分藩するようになったとか。
いろいろ納得出来そうですね。

まとめ

山王まつりを調べるはずが、歴史まで気になってしまい、脱線もしてしまった気もします。ただ、調べきれてないと思いますが、江戸時代にいろんな事があったのかな。と思いを馳せるのはとても楽しかったです。今では、徒歩移動では考えられない参勤交代も、このおかげで道路が整備され始めるなど、良い事もあるわけですよね。お祭りも伝わった部分はあるのかな。富山藩(加賀藩)がとてもお金持ちだった事で、大祭になったのかもしれませんよね。今は、歴史的・文化的価値の高い道は、国の財産として「歴史国道」と選定されているそうなので、その道を昔の方は移動に使っていたのだと感じながら歩くのは、とても素敵なことだなぁと思います。
学校で習っていた時には気づかなかった事も、何かと繋げて調べると気づくことも多くとてもわくわくして楽しかったです。31日~の山王まつりもきっと素敵な大祭なのだと思います。なかなか行く機会がありませんが、いつか行きたいと思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました